豊ノ島大樹は親方株を取得でき無いので事務所を立ち上げたのか⁉


出典元:https://www.photo-ac.com/

元関脇・豊ノ島が親方を退職し
「豊ノ島大樹」としてタレントに転身しました。

「相撲界を離れて外からもっと相撲を広めていきたい」
との思いがあるようですが
果たして理由はそれだけなのでしょうか?

豊ノ島大樹さんを調査してみました。

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豊ノ島大樹さんは親方株を取得できなかったのか⁉

豊ノ島大樹さんの所有していた「親方株」「借り株」の状態であり
本来の所有者に返さなければならなかったこと。
他所から「親方株」を譲り受けることが出来なかったことで
「親方株」を取得することができませんでした。

このことがタレント転身の理由に大きく関係していると思われます。

「親方株」、または「年寄株」と呼ばれる表現は、
相撲協会の正式な用語ではありません。正しくは「年寄名跡(としよりみょうせき)」と言いい(「名跡」「株」といいます)
日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄りの名前です。
現在105の年寄名跡が記載されており
歴史的な経緯から、その名称まで固定されています。そして「年寄」とは日本相撲協会の「構成役員」という意味
通常は「親方」の敬称で呼ばれることが多いです。協会および大相撲の運営は年寄が主体となって行われているのですが
現役を引退した元力士が協会の正規の構成員としてとどまるには、
原則として年寄になる必要があります。

豊ノ島大樹さんが何故「親方株」を取得できなかったのか解説していきます。

豊ノ島、2020年4月に引退。
年寄「井筒」を襲名し、時津風部屋の部屋付き親方となりましたが
これは「借り株」の状態であり

正式には現在、先代(元関脇「逆鉾」)の遺族が「井筒」を所有しています。

現在の規定では親方が亡くなった場合、その遺族が年寄名跡を最長三年間保有できます。
この間に年寄名跡の譲渡者を決める必要があるのですが

豊ノ島関が「井筒」を名乗り続けられない理由として二つ

一つ目はモンゴル出身の元横綱「鶴竜」が本来の「井筒」継承者であったこと。

先代「井筒」死去が19年9月。
この時点で横綱「鶴竜」は健在で7月場所には優勝もしています。

当然、「井筒」襲名と行きたいところですが
親方になる条件である日本国籍が取得できていませんでした。

「年寄」(親方株)を所有していなければ部屋を持つことが出来ない為
井筒部屋は消滅し、一時的に同じ時津風一門の鏡山部屋が預かった後に
同門の陸奥部屋が井筒の力士らを引き取りました。

20年4月、豊ノ島が引退。
元横綱「鶴竜」の日本国籍取得待ちの「井筒」の「一時的襲名」となる。
以後3年に渡り後進の指導に当たります。

鶴竜の国籍取得は同年12月。
21年3月の引退後、横綱経験者のみ許されている
5年間の「現役名年寄」制度を使い「鶴竜親方」を名乗ります。

この猶予期間ともいえる5年で鶴竜の「井筒」襲名へと道筋が作られると思われていましたが・・・。

豊ノ島関が「井筒」を名乗り続けられない二つ目の理由
21年12月、志摩ノ海と先代の長女の婚約(翌年結婚)があった事です。

志摩ノ海が戸籍上の姓を先代、つまり妻の側に改めたと協会も発表。
養子入りで遺族の一員に加わった状態となりました。

しかし、「井筒」襲名の大本命は鶴竜であることに変わりはないと思います。

親方になるには、日本国籍を保有し
<1>最高位が小結以上
<2>幕内通算20場所以上
<3>関取通算30場所以上
-のいずれかの条件を原則満たさなければならない。
部屋持ち親方の条件は
<4>幕内通算12場所以上、または
<5>関取通算20場所以上。
部屋付きの親方にはなれないが、部屋持ちの親方になれるケースがある。

引用元:日刊スポーツ

先代の長女と結婚した十両・志摩ノ海は
「部屋付き親方になれる」条件を満たしたに過ぎないのに対し

鶴竜は、いったん閉鎖された部屋を新しく興すための条件である
「横綱・大関の経験者」であるからです。

以上のことから豊ノ島大樹さんが「井筒」を襲名することは非常に難しかったと思います。

そこで、 他の「年寄」(親方株)の取得を目指してみてはと考えるのですが
年寄を襲名したい力士は保有している105ある年寄のいずれかから購入する方法が取られます。
(年寄名跡は協会が一括管理し、金銭授受を禁じていますが、実情として現在も形を変えて続いているのが現状です。)

親方になれば平でも年収1200万を超えるので
「年寄」(親方株)の売買価格は億を超えると噂されています。

購入するためのハードルが高すぎて諦めざる負えないのも納得できます。

豊ノ島大樹さんは親方株の取得が現状不可能であると判断して
タレントになる道を選択されたのでしょう。

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豊ノ島大樹さんはなぜ事務所を立ち上げた?

タレントとして活動するにあたり、事務所に所属するのではなく
なぜ個人事務所「オフィス豊ノ島」を立ち上げて活動することを選んだのか調べましたが、

既存の事務所に所属するのではなく
個人事務所を立ち上げた「理由」について明確な発信を探し出すことは出来ませんでした。

ですが、力士=勝負師ですから
そこは勝負に出たのではないでしょうか!

豊ノ島大樹さんは現役時代にもテレビに出ていて
本人もそれなりに喋れていたと感じ、楽しさもあったそうです。

タレントに転身するにあたり、いろんな方に相談する中で
ダウンタウンの浜田さんから
「自分やったら、こっちの世界でやっていけるで」
と、声をかけてもらったことが自信を得る大きなきっかけになったそうです。

豊ノ島大樹さんに通ずる体型の「フォーリンデブはっしー」さんの記事はこちら

 

まとめ

年寄「井筒」を襲名し3年に渡り後進の指導に当たった豊ノ島大樹さん。
結果的に日本相撲協会を離れ、タレント転身となりました。

「相撲のおかげでここまで来れたので、外から相撲をもっと広めていきたいと」語った
豊ノ島大樹さんには芸能界の横綱を取ってもらいたいです。

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