未唯mieの借金の返済方法がヤバイ‼相方や現在の変化とは⁉

元ピンク・レディーの未唯mieさん。(本名:根本美鶴代)
実は借金に苦しんだ過去がありました。


出典元:http://web-mie.com/profile/

いったいどのような方法で借金を完済されたのでしょうか?

返済方法や相方、現在の活動について調べてみました。

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未唯mieさんの借金返済方法とは‼


出典元:https://www.photo-ac.com/

未唯mieさんが取った借金返済方法は
常人では到底真似できない努力と覚悟に拠るもので、
宝くじを当てたとか、株で大儲けしたとか、楽に稼いで返済したというものではありませんでした。

では、未唯mieさんが何故借金を背負ってしまったのか。

それは、同世代のミュージシャン仲間から「やりたい音楽を一緒に追求しよう」と誘われたところから始まります。

1981年、ピンク・レディー解散後、未唯mieさん(当時23歳)は自分の進むべき道を模索していました。

その中でも「ぜひ米国で一緒に仕事を」との現地のプロデューサーからの誘いに魅力を感じ、応じようとしていました。
しかし、この誘いを受けることはありませんでした。

そのともう一つ、ある事務所からの「アーティストとしての表現を追求しよう」という誘い
この誘いにも魅力を感じ、応じようとしていました。

が、同様に誘いを受けることはありませんでした。

何故、魅力を感じていながらも誘いを受けなかったのかというと
ご両親に反対されたからです。

未唯mieさんは厳しいご両親に育てられた為、大人になっても親に逆らうことが出来なかったのです。

以後数年、ピンク・レディーの延長線上のような仕事内容をこなしていく内
「環境を変えたい」との思いが募っているタイミングで
同世代のミュージシャン仲間から誘われたことがきっかけで
1987年、未唯mieさん(29歳)で独立。
その仲間たちと一緒に新会社を設立しました。

しかし、理想とは裏腹に現実は上手くいかず
それまで地道に活動してきた仲間達にとって
未唯mieさんが仕事で稼いでくる金額は桁違いのもので派手に使っていました。

気付いた時には大きな負債に、結果的に3億円に上る借金を抱えることになりました。

弁護士には自己破産を進められましたが、未唯mieさんはそうはしませんでした。

これまで親に反抗もせず、仲間にも経営を任せきり、
他人に頼り切った生き方に抵抗感を感じていた未唯mieさんは自分の手で会社を立て直すことを決意しました。

再出発直後は大変苦労しました。
移動はタクシーなのですが行き先が伝えられない為、マネージャーに作ってもらった迷子札を持参。
電車は切符を買うことが出来ませんでした。

その状態でも頑張れたのは「会社を潰すわけにはいかない」という必死の思いがあったから。

朝は社員が来る2時間前に出社して、その日のお金の工面をどうするか、どういって待ってもらうか知恵を絞り、

昼はやりたい仕事と稼ぐための仕事の両方をこなしながら合間に勉強。
セミナーに通ったり、足りないスキルの強化に努めたり。

特に未唯mieさんは話す必要が無いから歌手になったくらい話すのが大の苦手だったので
「話し方」の学びに特に力を入れていました。

それと並行して銀行の融資の取り付けに説得を重ねたり、飛び込み営業で企画を持ち込んだりと
未唯mieさん自身が「私、こんな人だったの⁉」と驚くほどでした。

睡眠時間は毎日1~2時間でしたが、ピンク・レディー時代に経験していたので必ず乗り切れると思っていました。

こんな大変な毎日を送っているにもかかわらず、悲壮感は感じておらず
むしろ、乗り越えた自分を見てみたいという冒険心があったそうです。

そうして3年がたった頃、ようやく借金返済の目途が付きました。

そのときは「やっと普通の人の仲間入りができた」とピンクレディーが成功したとき以上の喜びがあったそうです。
それは、プロジェクトの成功であって未唯mieさん自身の力ではなかったから。

未唯mieさんはこの経験を自分の足で立ち、生身の人生を送れるようになる為に必要な経験だったと感謝したそうです。

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未唯mieさんの相方は⁉

未唯mieさんの相方と呼べる人物二人を紹介します。

1人目は元「ピンク・レディー」のケイこと、
歌手で女優の増田恵子さん(64)(現姓:桑木啓子(くわきけいこ)です。


出典元:https://www.kei-office.net/

増田さんは2002年(当時44歳)株式会社ギルド・ジャパンの社長だった桑木知二さん(当時48歳)と結婚しています。
子供がいるという情報はありませんでした。

1991年の34歳のときバセドウ病を発症。

甲状腺ホルモンの異常分泌により、様々な臓器がフル回転状態になってしまう
走ってもいないのに鼓動が早くなったり手の震えなどが起きたり
代謝が良くなりすぎて痩せてしまうこともあるやっかいな病気です。

2005年に病気を告白していますが、病気のことを隠して活動していたことになります。
2023年現在病気は完治したという情報は残念ながら見つけられませんでした。

もう一人の相方と呼べる人、もしくは呼べた人は
元旦那さんの佃淳三さんです。


出典元:https://www.gyokainojinjibu.com/

1998年に結婚。

1997年に結成した「アニメタルレディー」がきっかけ。
アニメタルレディーはヘヴィメタルバンドとしてデビューし、未唯mieさんは同バンドでボーカルを務めていました。

このバンドをプロデュースしたのが元旦那、佃淳三さんで、当初はプロデューサーとアーティストという関係でした。

2004年に離婚。
離婚理由に関しては、『すれ違い』が原因。

佃淳三さんは音楽業界で長く活躍していた人物で、1983年にソニーミュージックグループに入社。
その後、ソニー・ミュージックアーティスツの執行役員、
2014年、ソニー・ミュージックパブリッシングの代表取締役に就任。

また、JASRAC放送委員会副委員長と日本音楽出版社協会(MPA)理事を兼任していた時期もあり、音楽業界の重鎮として知られています。
現在は「合同会社ギョーカイ人事部」という会社で社長を務めています。

未唯mieさん、現在の変化

ピンク・レディー時代、あまりの忙しさで座ると意識が遠のいてしまうから
座るのが嫌だったほど多忙を極め、毎日仮眠状態だった未唯mieさん。

60歳を過ぎて「サプリメント、『お中元,お歳暮,年賀状』、長風呂」をやめたと明かしました。

サプリメントに関して、ピンク・レディー時代、食事がとれなかったことが習慣になり一日一食。

一時「手のひらに一杯」のサプリメントを飲んでいた未唯mieさんは
仕事終わりの夜にゆっくり食事をするように。

往年の女性アイドル未唯mieさんに対して新人イケメン男性グループの「大久保波留」さんの記事はこちら

『お中元,お歳暮,年賀状』に関しては、
季節で当たり前にしていることはやめ、思いのある人に、思いついたときに何かを差し上げたり、声を掛けたりするよう変化。

最後、長風呂に関して、若い頃3時間入っていたお風呂を30分くらいまでに。
理由は「顔が瘦せて老けて見えてしまうから」。

長風呂をしていた頃は、ベスト体重を維持できていたが
今太っている所の自分を許してあげているそう。

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まとめ

3億円にも上る借金を背負ってしまった未唯mieさんの借金返済方法は
常人では真似できない努力と他人に頼り切った生き方に対する抵抗感。
「会社を潰すわけにはいかない」という必死の思いがあったからでした。

普通は自己破産を選択すると思います。

睡眠時間が毎日1~2時間はきつ過ぎますよね。
私には耐えられないです。

自分の足で人生を切り開いている未唯mieさん
素敵に齢を重ねています。

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